2014年1月22日水曜日

2013シーズンまとめ

■2013シーズン:4位
16勝(HOME9/AWAY7)リーグ7位タイの勝ち数(2012より+5勝・2011より+5勝)
11分(HOME5/AWAY6)リーグ15位タイの分け数(2012より+2分・2011より+1分)
7敗(HOME3/AWAY4)リーグ最少負け数(2012より-7敗・2011より-6敗)
53得点(HOME25/AWAY28)リーグ7位(2012より+6得点・2011より-14得点)
32失点(HOME17/AWAY15)リーグ3位(2012より-21失点・2011より-21失点)
シュート436本(HOME216/AWAY220)リーグ3位(2012より+43・2011より-37)
被シュート416本(HOME194/AWAY222)リーグ16位(2012より+68・2011より+12)

■2013シーズン開幕前
2010年以降のレヴィクルピが率いるセレッソといえば3シャドーとも言われる4-2-3-1が代名詞で攻撃の時に2列目の3人が自由にポジションを取る事で抜群の攻撃力を発揮してきました。しかしそれが自らでバランスを崩す事にもつながるので、流動的な動きで相手を引っ張り相手のバランスを崩しながら一方ではボールを奪えるボランチのいた2010年は守備でも好成績を残しましたが、相手の研究が進んだ2011年は失点を増やしてしまう事にもなってしまいました。
それを受けた2012年は、監督を代えフォーメーションも4-4-2に代えてバランスの取れたサッカーを目指しましたが上手くいかず、途中でクルピ監督を呼び戻す事で何とか残留を果たしたというシーズンでした。
2012フォーメーション
2013シーズンを迎えるにあたっての選手の入れ替えは下の通り。
<退団・移籍>
GK:松井(徳島へレンタル)
GK:荻野(アルビレックスシンガポールへ移籍)
DF:児玉(大分へ移籍)
DF:高橋(引退)
MF:舩津(富山へレンタルバック)
MF:ヘベルチ(草津へレンタルバック→仙台へ移籍)
MF:後藤(退団し高知大学へ)
<加入>
GK:武田(清水より加入)
GK:クソンユン(2種登録より)
DF:新井場(鹿島より加入)
DF:椋原(FC東京よりレンタル)
MF:ブランコ(山形よりレンタルバック)
MF:楠神(川崎より加入)
MF:秋山(2種登録より)
MF:岡田(2種登録より)
MF:小暮(2種登録より)
FW:エジノ(ティグレスよりレンタル)
FW:南野(2種登録より)

シーズン途中で清武・キムボギョンという2大看板は移籍してしまいましたが、シーズン後半戦を支えた選手の移籍はなし。
そして2選手が退団となったSBは経験のある新井場と東京から2012シーズンには15試合に先発出場している椋原を獲得し、CBは茂庭・藤本と山下・キムソンギ、ボランチはシンプリシオ・山口・扇原・横山・黒木、2列目には枝村・南野に楠神・ブランコ・吉野・井上、FWには柿谷・杉本・播戸にエジノという編成となり、CBにもう1枚と2列目にブランコでは無く新外国人を取りたかったという所はあるものの、FWはエジノか杉本かがシーズン通して使えるようれあれば2012年の夏に取ったシンプリシオと枝村と合わせてまずまずという所だったかと思います。

■基本フォーメーション
2013シーズンの序盤は前年2012シーズンでも採用していた4-4-2でスタートし、コンフェデの中断期間あけの2試合目、ナビスコカップ準々決勝の2ndレグで4-2-3-1に変更。以降はシーズン終了まで4-2-3-1が基本フォーメーションとなりました。

■4-4-2
4-4-2
開幕からナビスコカップ準々決勝1stレグまでのリーグ戦の13試合とナビスコカップでは7試合の計20試合でベースとなった4-4-2。
特徴的なのは本来ボランチの選手である山口を右SHに置いた事だと思いますが、これは2012シーズンの終盤も山口を左SH、枝村を右SH、ボランチに横山or扇原・シンプリシオという形を取る事も多くあったので、実際は2012シーズンからの継続路線といえます。

■守備の仕組み
2013シーズンを振り返る上で最大のポイントなのは守備の安定。シーズン開幕当初に攻撃の形がほとんど作れていない中で3連勝したのも、この昨年から20点以上失点を減らした守備が最大の要因でした。
4-4-2でセットする守備
そのベースとなったのが、2012年のソアレス体制を引き継ぎその後も使用していた4-4-2でセットする守備。
そのやり方は特別なものではないのですが、ボールを奪われると4-4-2でセットして先ずは前から、そしてそこで取りきれないと判断すれば自陣でブロックを作るという形を徹底していました。
両サイドがしっかりマッチアップ相手を捕まえる
その特別ではない形で結果を残せていた最大の理由は両SHの守備意識の高さ。
リーグNo1の数字を残したキムジンヒョンのシュートストップや、1対1に抜群の強さを誇り圧倒的なスピードでちょっとやそっとのズレならカバーしてしまう山下のブレイクに加えて、2012シーズンからの攻守の切り替えのスピードをさらに高め、4-4によるポジションのバランスは重視するものの、完全なゾーンディフェンスというよりも早めに人を捕まえてしまうやり方で、両サイドのSBとSHがしっかり戻って相手のSHとSBを捕まえます。
それによって2012年は右サイドが1、左サイドが5と両サイドの深い位置から6つあったエリア別被アシスト数がそれぞれ右が0、左が1と大きく減らす事に成功しています。

■セレッソの得点パターン
セレッソは従来から得点パターンとして、サイドをえぐったペナルティエリア内の深い位置からのグラウンダーのクロスと中央バイタルエリアからのスルーパスという形を持っていますが、今季はそれに加えてバイタルエリアよりも後ろ、長い距離のアシストを2012年の1から7と大幅に増やしている。
これはいわゆる裏へ抜ける柿谷へのパスで、リーグ戦であったこのシンプリシオと扇原からの7つのアシストは全て柿谷が決めています。

余談ですが、2012年にある1アシストですが、実はこれを決めているのはケンペスで柿谷ではありません。
徳島に行く前も、徳島時代もそうだった様に、柿谷の2012年開幕当初のポジションは2列目で、清武、キム・ボギョン、ブランキーニョに次ぐバックアップ1番手、FWとしてプレーするようになったのは10節をすぎた頃からです。
なのでFWとしてのキャリアは実質半年ぐらいで、2012シーズンの柿谷の得点パターンは、リーグ戦11得点の内こぼれ球やCKのフリックを押し込んだ形が5点で最大となっていました。
2013シーズンに大幅にふやした裏に抜ける才能の片鱗を初めて見せたのはソアレス最後の試合となった23節のマリノス戦で、この試合で斎藤のバックパスをDFラインの裏でかっさらってゴール、そしてクルピ監督復帰初戦となる次の24節新潟戦ではキムジンヒョンのゴールキックから杉本が頭でスラしDFラインの裏に柿谷が抜けだしてゴールと、この頃から徐々に相手DFラインとの駆け引き、元々持っていたスピードを活かした裏への抜け出しといういわゆるFWらしいプレーが見られ始め、自分のスタイルとして確立していったのだと思われます。

2013シーズンは柿谷がこのスタイルを確立する事によって、速い攻めに以前程人数をかける必要がなくなったので、これまでは攻め残る事も多かった2列目もしっかり守備に戻す事ができるようになったのでしょう。

■攻撃の形
しかし柿谷というカウンターの矢になり得る駒を得たにもかかわらず、シュートまでの平均時間は18.9秒と2012シーズンの15.5秒よりも2.9秒、2011シーズンの16.3秒よりも2.1秒、2010シーズンの17.8秒よりも1.1秒長くなっています。
さらにボールポゼッションを試合別に見ると、50%未満と50%以上で幅広く散らばっており、また結果も全16勝の内ポゼッション50%未満、50%以上ともに8勝ずつと差がありません。
ここからわかるのは、2013シーズンは例年に比べてポゼッションへのこだわりを少なくし、柿谷というカウンターの矢をつかった速い攻めとじっくりボールを持ってコンビネーションを使って攻めるやり方のどちらでも結果を残していたという事で、攻撃のやり方に幅があった事がわかります。
4-4-2ボール保持の形
山口を右SHに入れた4-4-2でのボール保持の形で特徴的だったのがその山口のポジション。
シーズン序盤の新井場や椋原がSBに入っていた時は両SBがバランスを見るポジション取りを行っている事も多かったが、それだと攻撃の形が作れないという事で従来のセレッソらしいSBである酒本と丸橋に固定されると、ソアレス時代に封印されていた両SBが高い位置を取る形を復活させ、SBが幅を作る形になっていきます。
ただ、その形は対戦相手も知っているという事で、セレッソはCBには対人能力を優先させている為に相手はCBを捨ててボランチの所から守備を始めボランチからの展開を制限し、そこで窒息させて奪ったり、苦し紛れにCBが蹴ったボールをはね返してカウンター気味にSBの裏のスペースをつくという対策をとってくるチームが事が増えていたんですが、その対策として「扇原が最終ラインに下がる・SBが上がった後のスペースに入る」に加えて右SHの山口がボランチの位置に下りてくる事でビルドアップを助ける形がよく見られていました。
またバイタルエリアは柿谷と南野が裏や下がってくるプレーのコンビネーションを狙う形は機能していましたが、問題だったのがもう1枚のFW。
開幕からエジノが入っていましたが全く機能せず、途中から杉本が先発に入る事になりましたがこちらも1stトップとして十分な働きを見せる事は出来ていませんでした。

■4-4-2から4-2-3-1に
4-2-3-1
コンフェデレーションズカップの中断期間までを、リーグ戦6勝2敗5分の6位、ナビスコカップグループリーグ突破という成績でおえ、迎えた中断期間空けの初戦ナビスコカップ準々決勝のホーム浦和戦。
この試合をこれまで培って来た4-4-2で挑みますが、スコア上では0-2ながら内容ではそれ以上の差を感じさせる完敗を喫します。
この試合に敗れた実際の要因は、簡単にいえばシーズン2回目の対戦という事もありペトロビッチの4-1-5にキレイにハメられた試合(詳しくはマッチレポートを参照)なのですが、中断期間中のオフの事だったりとよくわからない根拠の無い批判も出るほどのショッキングな敗戦でした。
そして、そこでクルピ監督は1週間後の2ndレグに向けて、4-1-5対策として4-2-3-1を導入。スコアは1-1と勝利することは出来ませんでしたが、内容的には1週間前の1stレグを格段に上回る試合を見せる事に成功します。(詳しくはマッチレポート参照)

という事で、そもそもは4-1-5対策だった4-2-3-1ですが、この試合以降はこの4-2-3-1がベースになります。
その理由はこの試合の2週間後に同じ4-1-5のシステムを取る広島との対戦が控えていた事もあった可能性もありますが、それ以外にも4-4-2で少しずつ見えはじめていた問題点をカバーする事ができていたからだと思われます。

■4-2-3-1になった事での改善点
ボランチの両サイドのスペース
4-4-2の守備の仕組みで書きましたが、今期の守備の安定はSHの守備、SHがしっかり守備に戻りオーバーラップしてくるSBをしっかり捕まえる事でもたらせていました。
しかしそうなると今度は対戦相手がその動きを踏まえて、SHを中に入れてSBを中央に引っ張り、SBを高い位置に押し出す事でSHを押しこみ、ボランチの横にスペースを作る動きを見せるようになります。
図ではわかり安いように両SBを上げている形にしていますが、たとえこれが片方だけだったとしてもSBがSHを押し込む事でボランチの横にスペースを作り、そこにトップ下やSHの選手が下がってきて基点を作られたり、相手ボランチも絡む事でセレッソのボランチを動かされ最も危険なバイタルエリアにスペースを作ってしまう事につながっていました。

そうなると前線の2枚が完全に孤立。そしてその時間が続くと、それを放置する訳にはいかないということで2トップの1枚が下がってくる形も見え始めるのですが、その時に2トップの柿谷とエジノor杉本ではそこに戻ろうという意識が高いのはどうしても柿谷なので、柿谷が中盤の守備に戻ることになり、その結果相手にとって最も危険な選手を相手ゴールから遠ざけてしまうことにもなってしまいます。短い時間ならまだしもその時間が長くなるとさすがに勿体ないです。
ただもしそうなったとしても、ボールを奪った時に前線に残った1枚がしっかりボールを収める事ができればそこから攻撃につなげる事ができるのですが、残っているエジノor杉本ではそういったプレーができていませんでしたし、さらにエジノは敵陣での空中戦がチーム最多の121回にもかかわらず勝率が28.2%と絶望的な数字(50%を超えれば空中戦にかなり強い選手、ターゲットとして使われているのが40%代後半の選手)というありさま。杉本はチーム2位の117回で勝率47.9%と空中戦に関しては一定の結果を残していましたが、彼は真前線でボールを収めて欲しい時にどうしても一番厳しい所ら逃げてしまう時間が多いので攻撃の形が作れないという時間帯も増えてきていました。
シンプリシオのカバー
それが4-2-3-1になった事で関係性が整理。同じように押し込まれボランチの両サイドのスペースを使われた時にトップ下からシンプリシオがカバーに入ることができるのでボランチが出ていけるようになり、相手にとって最も危険な柿谷を前線にのこしたままさらに守備の安定をより強固にすることが出来るようになりました。
また中央だと攻撃・守備ともにプレーのテンポについていけてなかったエジノを中央に比べてプレッシャーの緩いサイドで、役割を限定させてあげる事で4-4-2での2トップよりはまだ効果的なプレーができるようになります。
4-2-3-1のビルドアップ
また攻撃でも、扇原の役割はかわらないものの、シンプリシオがボランチに下りたり下りなかったりと非常に相手が捕まえづらいポジションを取る事で、相手のボランチの動きを惑わせ、またシンプリシオにはボールが収まるのでボールを持った時の攻撃のバリエーションが増える事になりました。

■届かなかったタイトル
しかし今シーズンもタイトルには届きませんでした。
32節に優勝した広島相手にこれぞ上位争いというジリジリとした展開の試合を狙い通りの形で勝利し、ラスト2試合を残したところまで優勝の可能性を残していましたが、33節の鹿島戦で押し気味に試合を進めながらも敗戦した事で優勝の可能性がなくなり、最終戦には快勝したものの4位という結果に終わりました。
クルピ監督と共に2013シーズンで強化部長から退任した梶野氏の著書の中で、「鹿島戦で勝てなかった」「ここ一番の試合で勝利する勝者のメンタリティ」というところにポイントを置いてタイトルを取れなかった事を書かれていましたが、タイトルの取れなかった実際の原因は「引分けが多かったこと」で、もっと掘り下げると「選手層の薄さ」で「夏に補強できなかった」ということろになってくるのでしょう。
勝者のメンタリティというはっきりしないものを原因にしたところで何をどうするのかよくわかりませんし、実際に鹿島、浦和に連勝しても広島には追いつかなかったわけですし。しかも重要な試合であった広島戦には勝利していますからね。
まあご自身もそう書かれているだけで、実際のところは別だと思いますが(笑)。

「引分けが多かったこと」で象徴的なのは、南野が負傷離脱してしまった21節の清水戦の後、22節の名古屋戦から26節の柏戦まで5試合連続で引き分けてしまったところ。
24節ホームの川崎戦の様に誤審で勝点1を拾った試合もありますが、内容的には押していた時間帯もありながら慎重になってしまっていたのか、4-2-3-1になって役割をハッキリさせシンプリシオがボランチのカバーリングに入る形になって後ろで守れるようになったので、前から行ってダメならというよりも最初から後ろで守る様になってしまっていました。その状態で南野がいないとなれば柿谷が前線で完全に孤立。
この5試合連続引き分けの後、南野が復帰し、また最初から引いてしまわない様にする事を徹底し、磐田・大分・湘南に3連勝して持ち直しましたが、この5試合を含めた11試合で取れなかった勝点22が最終的に大きく響きました。数字の上ではこの引き分けた11試合の内2試合に勝っていれば広島と勝点で並び、得失点差も1しか無かったので順位では上回っていたんですよね。

南野が不在の時にその穴を埋められなかった事、単純にその代わりに入る選手もそうですが、その他のポジションの選手も活躍できませんでしたし、以前の播戸の様な途中から入って決定的な仕事をするというスーパーサブ的な部分でも物足りなさを感じさせました。
もっとハッキリ言うと特に物足りなかったのは右SHで、エジノも杉本も最低限の仕事はしていましたが優勝を争うチームの選手としてはシーズンを通して物足りない内容でした。
夏の登録期間の時には、既に全てのポジションの中でここが一番クオリティが足りない所だとハッキリしていたんですけどね。
放出が上手くまとまらなかったんだと思いますが、5月以降は練習でも姿を見ることがなくなったブランコと合わせて、貴重な外国人枠を2つも効果的に使えなかったのは厳しいところでした。

■その他
おそらく2013シーズンはかなりのチャンスでした。
ここ数年は毎年シーズン中にエースを放出し途中からやり直しになっていましたが、2012シーズン後半から戦力を維持し戦い方を継続する事でクオリティの高いチームを作る事が出来ていました。
ただ、だからこそ夏に選手を取れなかったんでしょうけどね。
これまでのサイクルを変え、言ってみれば少し無理をする形をとったので、夏に戦力を加えるだけの余裕がなかったという事なんでしょう。

2014シーズンは監督が変わり選手も大きく入れ替わります。
ポポビッチがセレッソでどういうサッカーをやろうとするのかはまだわかりませんが、やり方が変わる部分も多々あると思いますので時間がかかる可能性は高いでしょう。
なので、今シーズンはどう変わっていくのかを楽しみにしたいと思います。
例のあの人が来てくれたらもっと楽しめるんですけどね(笑)。

新着記事

人気の投稿

セレッソ大阪公式Twitter

楽天

楽天トラベル