激動という言葉では物足りないぐらい、この数年間をひっくり返すほどの決断を下しているセレッソ大阪。新しいシーズンに向かう前にまずロティーナと共に歩んだ2年間、そして2020シーズンを何回かに分けて振り返る。
第1回目の今回はまずロティーナのサッカーについて。哲学的な話しが多くなるが、ピッチでのプレーを取り上げる前にまず考え方についてまとめておこうと思う。
■サッカーとはどういう競技か?
ロティーナと歩んだ2年間。最も印象に残っているのは、これまでのセレッソ大阪が見せていたサッカーとは全く異なる種類のサッカーを行っていたことだろう。
サッカーという競技の捉え方自体が異なっていたと言っても良い。
例えば「サッカーとはどういう競技か?」という質問があれば「足を使って得点を奪い合う競技」というのが一般的な答えとなるのではないだろうか。もちろん他にも色々な要素はあるし別の言い方もできるが、この答えに対して異を唱える人もそんなにいないんじゃないかと思う。
しかしロティーナのサッカーは違っていた。ロティーナのサッカーは「スペースを管理し、どれだけ試合をコントロールできるかを競い合う競技。得点や勝敗はその先にある」という捉え方だったのではないかと思う。
サッカーは世界中のどこのトップリーグでもリーグ平均の1試合1チーム平均得点が1.5点前後でしかない。2020年の川崎Fが2.6点/試合という爆発的な得点力を見せたが、リーグ全体だと1.4点/試合。つまり1試合90分間では両チーム合わせても3点しか入らず、2点目を取ったチームがほぼ勝つという競技なのだ。
バスケットボールの様に1試合(40分間)で両方のチームあわせて100回程度ゴールネットを揺らす競技であれば、確かに「得点を奪い合う」と言えるかもしれない。しかしサッカーは90分間で両チーム合わせてもわずか3回。それ以外の時間、要素のほうが遥かに多い。
そしてサッカーが今の様にスポーツとして成立する前の、村同士で争われていた原始フットボールではどちらかが目標(ゴール)を達成すると試合は終了したという。そもそもフットボールは得点を奪うあうのではなく、得点を奪う/奪われないためにどう試合を組み立てるかを争う競技だったのだ。
そう考えると、同じ原始フットボールから派生したスポーツの1つであるラグビーが陣取り合戦要素が強いのも当然である。そもそもラグビーのトライも、今でこそこの競技の中で最も多くの得点数が与えられる手段となっているが、元々はトライ自体に得点は与えられず「ゴールを狙う権利」を得る方法でしかなかった。なので「トライ」なのだ。
そういったフットボールの歴史、成り立ちから考えると、ロティーナのサッカーに対する考え方、捉え方は納得できたし、腑に落ちた。この切り口が新鮮だったし知ることが楽しくて仕方なかった。
なので2019年の就任当初、開幕戦こそ勝利したもののその後厳しい結果が続いたことでサポーターも疑心暗鬼となり当時は様々な声が聞かれることもあったが、ブログでも「ロティーナ監督の発言(意図)を読み解く」を書いていた様に個人的にはあまり心配していなかったのはこの考え方とチームの進んでいる方向が乖離していなかったからだった。
■試合をコントロールするということ
先にに出てきた「試合をコントロールする」ということはどういうことなのか。
「試合をコントロールできている状態」と聞くと一般的にイメージされるのは、攻撃が上手くいっていて守備も機能している、「試合を支配している」もしくは「ペースを握っている状態」ではないだろうか。多くの場合はボールを持って相手ゴールに何度も迫ることができていて、「勝てそうだぞ」という試合展開の時に出てくる言葉なのではないかと思う。
サッカーを「得点を奪い合う競技」だと考えるのであれば、そうなるのは当然だろう。
しかしロティーナのサッカーでは考え方が異なる。なので当然「試合をコントロールする」ということも変わる。
ロティーナのサッカーにおける「試合をコントロールする」というのは、「自分たちでスペース管理ができている状態」のことを指している。
なのでボールを持っているか持っていないかというのが決定的な違いにはならない。
ボールを持っている/持っていないに関わらず自分たちが意図している状況がピッチで起こっているかどうかが問題なのだ。
もちろんボールを持っている状態が意図した状況を作りやすい。なのでボールを持つ時間を増やそうとする。しかしボールを持っていなかったとしても自分たちでスペースを管理できている状態であればOKという考え方である。
では逆にスペース管理ができていない状態とはどういう状態なのか。
それはボールが両チームのゴール前を行ったり来たりする「オープンな展開」というヤツだ。
そしてこの状況がおこりやすいのが、切り替えが起こる場面。
なのでロティーナのサッカーは切り替えの回数を極力減らそうとする。
その結果が「5秒未満にボールを奪い返した回数」も「奪ってからシュートまでの平均時間」もどちらもリーグ下位であるということにつながっている。
■「攻撃的」なのか「守備的」なのか
ロティーナの進退問題が取り沙汰されるようになってから「守備的」「攻撃的」といった話しが多く取り上げられるようになっていたが、このブログで最初に「ロティーナの発言を読み解こう」という項目を作り取り上げたのも「守備と攻撃」の話しだった。
元となったのは2019年のルヴァンカップ大分戦での試合後の会見での質疑応答。
Q:前半から相手にボールを持たれる時間が長かったですが、持たせてカウンターを狙う形だったのか、試合の流れで持たれる時間が長くなってしまったのか?
相手がボールを持つことはわかっていましたが、我々がボールを持つ時間もありました。その習慣を、今、身に付けていて、できていないところもありますが、より強調していきたいと思います。それでも、前半はボールを持ってプレーできたのですが、後半は特にロングキックを蹴ってしまって、自信を持ってボールを持つことができなかった。それが一番、改善すべきところだと思っています」
質問者は相手がボールを持つ時間が長かったことで「守備の時間が長かったのは攻撃の手としてカウンターを狙っていたのか?」との質問をしたが、ロティーナは「ボール保持と非保持での振る舞い方」について説明した。
この時にも書いたが、この質疑応答は質問と答えが全く噛み合ってなかった。
その要因となっていたのは質問者がボール非保持=守備、ボール保持=攻撃としているのに対して、ロティーナはボール保持と非保持は単なる状態。攻撃と守備という形で分けていなかったからだろう。
もちろんボールを持っていなければ得点を奪うことはほぼ不可能だが、サッカーとは「スペースを管理し、どれだけ試合をコントロールできるかを競い合う競技」であり、得点はあくまでその延長にあるもの。まず重要なのが、試合をコントロールするためにボール保持/非保持でどう振る舞うかなのである。
攻撃と守備という分け方自体を考えさせられる、また攻撃的とか守備的とかといった言葉が曖昧であることを改めて教えてくれるものだった。
■自分たちの強みを出すのか、相手の強みを消すのか
ロティーナの考え方に関するエピソードでもう1つ強く印象に残っているのが「自分たちの強みを出すのか、相手の強みを消すのか」というものである。
質問をしたのはロティーナが東京Vの監督をしていた当時のエルゴラの担当記者だった芥川さん。2019年4月27日のホーム大分戦での質疑応答であったやり取りで、内容としては以下のものである。
Q:昨季、率いていた東京ヴェルディでも、大分との試合は2試合とも0-0でした。先ほど、大分の片野坂知宏監督は、「ロティーナさんは、相手の良さを消してくるから難しい試合になる」と話していましたが、相手の良さを消すことによって、自分たちのストロングポイントを出せていない部分もあるかと思います。自分たちのストロングポイントを前面に出すサッカーは、ロティーナさんの流儀ではないですか?
「私はそんなに反比例することではないと思っています。我々の仕事というのは、相手の良さを出させないようにして、我々のいいところを出すということ。それはどのチームもやっていることだと思いますし、特別なことではないと思っています」
この試合の後にも芥川さんがツイートしておられたが、おそらく東京V時代にこういったやり取りは何度もされていたのだろう。しかしこれもロティーナの考え方を踏まえると回答の意味がよく分かる。
おそらくこの質問における「自分たちのストロングポイントを前面に出す」というのは、「いわゆる「攻撃的なタレント」を活かして相手ゴールに迫る」というイメージなんだろう。質問を言い換えれば、「相手の「攻撃」に対してリスクを背負ってでもこちらが「攻撃」に出るという選択肢はないのか?」という主旨なんだと思う。
しかしロティーナが狙っているのは「どれだけ試合をコントロールできるか」。そこで競っているのだから相手の良さを消すことは必須。そして相手の良さを消すことと自分たちの良さを出すことは反比例しないのも当然。相手の良さを消すことは試合をコントロールするための一歩目だからだ。
明確な哲学を持ち、それをチームに落とし込み、ピッチで具現化できる監督はこれまでのセレッソでは見たことが無かった。
今回は小難しい話しが続いたが、このブログではマッチレビューという形をとっていることもあり、考え方、哲学の部分に触れる機会が少なかったので一度きちんとまとめておきたいと思っていた。
次回は実際のピッチ上の事について書いていく予定です。
今までで一番面白い記事でした。
返信削除仲間とも談義してみます。